2021.01.26 コラム

口伝 桐蔭今昔物語 一の巻

LESSON ROOM

・高校LRの始まり

桐蔭教育を象徴するシステムがLESSON制であることは、同窓生誰しもが認めることであろう。

LESSON制は1964年の高校開校と同時に、1年から取り入れられた。導入当初は、英系・数系に分かれておらず、英語・数学の合計点でLESSON ROOM(LR)は一本というやりかた・・、つまりα=成績上位者、β=中間層、γのみの3クラスであった。1966年になって初めて英系・数系に分割された。(1期石井相談役談)

4期生については200名弱の入学者があったので、LRはα・β・γ・δの4クラスだった。入学当初は英数一括のLR制、半年後(あるいは2年次から?) 英系・数系と別れたが、高3になると、例えば私文コースでは、数学・理科を免除された。(4期田中相談役談)

高校のLRは14期生までは内進、外進の二系統での編成であったが、1978年、15期生からはHRも含め、内進外進の1系統化が図られた。(男子13期江川副会長談)

【高校女子のLRがいついかなる編成で始まったか情報のある方はご連絡ください。】

その後生徒数の増加にともない、1986年、男子23期、女子6期が高1の時からAB帯の2系統編成となった。ちなみに男子理数科R1-4組、男子普通科A帯1-8組、男子普通科B帯1-8組。女子はG1-5組がA、G6-9組がB だった。(23期矢崎氏談)

男子23期・女子6期は、入学時に高3より共学授業になる旨通知され、1988年(受験直前に平成になり、先生方は調査書を全部作り直されて大変そうだった)に開始。国文はα1・α2 ・β1・β2 ・β3の編成だった。(女子6期清水理事談)

パソコンがない時代、HRと合わせて三本立てのクラス編成を手作業で動かす難度は想像以上のもので、【新学期が始まってもクラス編成が間に合わなくなるケースもあった。⇒伝聞で聞いた記憶があります、苦労話をご記憶の方ご連絡ください。】

・中学LRの始まり

1965年中学1期は入学時38名であったことから、LRがスタートしたのは2期からになる。HRは3クラス、よってLRも3レベル(α・β・γ)。入学時からLRは実施され、(恐らく)入試の算数の成績で分けられ(1次募集・2次募集があれば新入生登校日に振分け試験があったか?)、1年次は数学の点数だけで移動が組まれた。2年次からは英語の点数も加味された。(田中相談役談)

中学6期の入学時は、LRで英数国、α123・β12・γ12の7クラス。HOME ROOM(HR)で理社、体育、芸術でA~G組。1972年から英系、数系、HRの7クラス編成になった。(11期坂本会計談)

【女子中学でいつLRが始まったか情報がある方はご連絡ください】

・LR移動

LR移動についは、当初英系は英リーダー・英グラマーの合計点で、数系は代数・幾何の合計点で実施されていた。各LR50名と仮定して、最低でも5名は移動、最大でも8~9名に抑える。10名を越えると、中間LRでは落ちてくる生徒・上がってくる生徒の合計が 2/5 40%となり、それはいくらなんでも・・という議論の末、合計15名ぐらいなら 1/3 程度だから・・と。実際、これくらい入れ替わる中間LRはあった。

(表向きは成績会議決定としていたかもしれないが)成績会議ではとても議論する時間は無かったので、移動は教科担当者がどんどん決めていた。

ある時期から一部の生徒を除き(?)、英系で実施される古文・漢文や数系で実施される物理・化学・生物などは通称「捨て科目」として考査前にも学習せず(赤点さえとらなければ良いと・・)、只管LRアップ・LR維持に関わる科目のみに学習時間を割く生徒が増えてきた。これを問題視し(主として国語科からだったか)、その他の科目もLR移動換算に加えてほしいとの要望が出されたが、数年が経過した後(?)、総点数の1割程度古文・漢文を加味するという折衷案でスタートした。(田中相談役談)

【古文漢文がLR移動に加算された運用がいつ始まったか、ご存じの方はご連絡ください。】

・現在のLR

共学高としての現在高1のLRは、次のとおり

プログレスコース 数系αとβ1、2が2系統、英系α2系統、β3系統、5クラス体制

アドバンスコース 数系α、β1、2が2系統、英系α2系統、β4系統、6クラス体制

スタンダードコース 数系α、β1、2が1系統、英系α1系統、β2系統  アスリート HR2クラス 5クラス体制